#002

駿河

変革は皆無だった。相変わらず富嶽一景の全貌を臨むことは出来なかったし、有数の紅白煙突合戦からは豊満な燃料の屍骸がムスムスと天空に召されておった。目出たしい。ヒグラシの残党に連れられて。そして、焼失した。さらば、凹凸凹。そう、変化はあった。実家の匂いのその殆どが似紫の【K】に支配されるようになっていました。昨年のアノ日から。慎ましやかに、やや淡泊に。恐らく“未来形”が生誕する瞬間もその【K】に符合するに違いない。1945−2009/08/15、停戦記念日を新盆として。金の塵紙で折り鶴を折り折り折り、むっ?順序が解せず再び粉塵[チリ]となります。カツマデハ。健気に役目を終えたスイカ畑のパズルに今夏の最終セスナの機影を投下し、上手くハマらないのはPIECEではなくPEACE。イヴ・クライン薄暮の空に定規を使って実直に引いた一本のホワイト・ラインだけが、すぐにソレと分かる事実を残した。『あっぱれ!!』と思わず叫んだ。絶叫に近しい。然様ならば、凸凹凸。回想する。それこそ御通夜のように倫理的暗黒の病室からエレベーターホール迄の僅か数mの廊下を東京⇔パリ間の陸路と誤解しながら並行して歩いていた。歩いても歩いても。その場面に最も適当な台詞を捜したが見つからなかった。捜している相手の着衣の特徴すら知らなかったから。分子レベルでの無能だ。無能の天才だ。薄羽蜉蝣が 消息を たった今 絶った。電話での第一声は全休符を必要としました。白々と号泣する資格すらなかったのだ。18歳で【書を捨てて、町も捨てた】とでも言えば、まだ最底辺の恰好が保たれるのだが、残念ながら違った。逃げた。逃げて、逃げて、生きてきた。なぜ、     。その日の内に東京に戻る。いつ帰省しても宿泊が出来るようにと母が用意してくれた布団はこうして今夜も新品のままだ。きっと、温かすぎる。帰りの山の手線上にて、若干咽喉の出入口が痛んだ。乗り換え。走行中の新宿界隈の夜景がそれはそれは廻転行灯のようで。甘いピントに殺られる。明くる待望の月曜日、発熱した。体内の髄液とリンパ液と血液と精液とやらがグッパッブッパッと煮えでんぐり返り、あの万能なオロナインH軟膏でさえまるで歯が立たぬ。わっはっはっ!!吾輩がエレハモ怪人 MEMORY MAN だー!!だー!!だー!!このフィードバック to the Future☆+異国情緒溢れる呪文は何ぞや?ジョージかい?ジョージなのかい??のかい??のかい??本当にあのジョージなんだね。NOTハリスンBUT高橋。何でもないような事が〜♪完全に斜めっている意識を軌道修正すべく、うろ覚えではあるが「わらべ」の『もしも明日が...。』(←余談:生まれて初めて耳にした大切な歌謡曲です)のサビで覆い誤摩化しながら、行きつけの動物病院にスキップで向かった。ピピピッ/39.6℃/おめでとうございます/風邪ですね。簡易検査の結果、幸い新型インフルエンザではなかったが、1.5週間近く寝込む.com実写版“ぼくのなつやすみ”となった。「おやすみ」と、それに従う。地上season完全移行の時節柄、みなさまもどうぞご自愛下さい。君が死んだら3人以上は泣くぞ。さて、夏風邪らしい夏風邪を引いたのは64年振りの快挙だったので、当初は身の振り方を忘れて最寄り駅の下りホームを毒キノコダッシュしてみたり、ダンスダンスダンスdeトゥル・バラ・ストスしてみたり、『A.T.フィールド中和出来ません!!』してみたり、しました。こんな弱っている[瀕死]時に誰かに(仮に幽霊だとしても)抱き締められでもしたら慟哭してしまうだろうと妄想するが、抗生物質フロモックスで歪曲したシュールレアリスムをボテンッと乱暴に誂えた駄作・自作ホラーに笑った。爆笑に近しい。んだ、悪魔ばかりではない。生存活動のみに心血を注いでいる最中の鋭利な或いは鈍重な感覚には、私は一定の信頼を置いている。ほうら、ごらん、アイツがやってくる。兎角シーリアスな表情をして。まるでアノ日の昭和天皇陛下の様でありました。※常に語弊を恐れる態度でいます。それでもここ『イゾラドの春』に記する体温や表情や語気を欠いた“完全私的な反吐”が、語弊としてあなたを極悪な気持ちにさせたり非道に走らせたりと、たとえ善からぬ方向であっても微動だに作用することで晴れて“不完全公的な反吐”に変換され、こうして辛気臭く散らかった暗号を懲りずにあなたに読み進んで頂けた意味が初めて生まれて「ありがとう」と思っています。心より。そして、60年後には《ディズニーランド@巣鴨に行ったよ。楽しかったよ。超ミッキー(?)》みたいな濁り汚れのないブログを綴りたいとも本気で思っているのです。だから、その時までどうか一緒に生きてくれませんか。とどのつまり、自身で端から悲しみを請負う用意もせずに棚に上げられた神仏を着ぐるむカルトも、持ち主などいるはずのない地球を大量の血や糞で汚す大義名分をこじつけたジャイアニズム聖戦も、“今の今まで一度も生命を口にしてきません”風な厚顔面で不当に暴力を振りかざす環境保護団体を装うテロリストも、苦渋の決断の末泣く泣く現地を後にされた住人の思い出や住人そのものだった森林や河川や土砂や動物や昆虫たちの平穏な生活を無情にも生温いコンクリートの中へ押し固めた挙句の果て頓挫・中止されようとしているダム建設も、西暦3300年には日本の人口が0になるというSFな試算が鳴らす警鐘を実際に聞く人口もまた0という皮肉も、危険性や恐怖感よりも前にポップ感や軽薄さが突出している片仮名表記の薬物に対する偏った一部報道も、スクランブル交差点上の隣人と隣人と隣人と隣人が同じファッションをしている平和な5連休の信号は赤灯も、作者の生前と死後とで変わってしまうようなブレた評価も、またその評価を下す評論家・批評家のセンスがそもそもドイヒーな件も、享年27を目指していた当時13歳だった少年Aと少女Bも今や立派な桜の肥料という伝説も、[NOトラウマ, NO LIFE.]という気休めも、かくいう私自身も、オナニーのオカズにすらならない上記のような渾身の【ボケ】が世界にはまだまだ無限に溢れていて、それらを見す見す駄々スベらせるか将又『笑い』(※シニカルな笑いの先の先にある本当の意味でのソレ)に換えられるかは私達みんなの【ツッコミ】次第だと、老いぼれは薄手の毛布に絡まりながら説教臭くもヒソヒソと時にソヒソヒと考えているのです。ピピピッ/00.0℃/命に別状なし/ようやっと解熱し起床すると、そこは既に大好きな秋だと教えてくれる人はもうこの世にいない。という未来【K】に味噌汁で献杯を勧める。